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LINER NOTES
2nd Album『YEARS』

<少年は少しだけ大人になった — 無邪気さの中に苦みが香る、新しいodolの姿>

「結成から半年足らずでFUJI ROCK FESTIVAL’14のROOKIE A GO-GOに出演」というインパクトのある形でシーンに登場したodol。その後2015年5月に発表された1stアルバム『odol』から約1年のインターバルを経てリリースされる『YEARS』で、彼らは劇的な進化を遂げた。

今年の1月にSoundCloudで先行公開された「退屈」からその兆しはあった。細かなリズムを刻むドラム、そこに流麗に絡む繊細なピアノ、そんな洗練されたムードを打ち破るように鳴り響く歪んだギター。それぞれのパートが有機的に絡み合う印象的なイントロに導かれて始まる美しいメロディは、サビに入ると泣きながら全力疾走するかのようにエモーショナルな展開を見せる。ASIAN KUNG-FU GENERATION「ブルートレイン」の爽快感とROSSO「シャロン」の切なさを併せ持つ、と形容しても決して言い過ぎではないだろうこの曲の抜けの良さは、彼らが前作とはだいぶ異なるレベルに到達していることを思わせるものだった。

odolが音楽を通じて生み出す世界には静と動のコントラストが美しく描かれているが、アップテンポな「退屈」が「動」の部分についての進化だとすれば、今作の表題曲でもあるバラード「years」はバンドの「静」の側面における確実な進歩を示している。どこか懐かしいメロディが優しさと力強さを同時に湛えながら鳴り響くこの曲からは、半径数メートルの些細な出来事が人生の真理につながっていくようなスケールの大きさが感じられる(こちらも偉大な先人の名前を借りるならば、サカナクション「ナイトフィッシングイズグッド」が醸し出す空気感を思い出した)。odolがバンドとしてネクストステージに進んだことを感じさせる、様々なタイプの人の耳に馴染むであろう射程の広い楽曲である。

前作『odol』がポストロックやシューゲイザー的な要素の強い作品だったのに対して、『YEARS』の収録曲の音楽的な振れ幅はかなり大きい。前述した「退屈」「years」に加えて、一部メンバーのルーツでもあるMr.Childrenの影響が色濃く感じられる「グッド・バイ」、不規則なドラムパターンとメロディアスなベースラインが中毒性の高いグルーヴを生む「逃げてしまおう」、これまでにない浮遊感が心地よい「夜を抜ければ」など、彼らが自分たちの音楽の中心として位置づけている歌・メロディを魅力的に聴かせるために各々の曲で意欲的なチャレンジが見られる。

そんなサウンドに乗せて紡がれる歌詞についても、前作から微妙な変化が感じられる。一言で説明するならば、「現実との対峙」とまとめられるだろうか。これまでの彼らの楽曲で使われていた象徴的な単語として「花火」というものがあった。パッと輝く美しさやそれがすぐに消えてしまう物悲しさが込められた言葉だが、実際にはほとんどの人間は花火のように一瞬で消えてなくなったりはしないし、華やかに輝くことがなくても人生は不恰好に続いていく。今作におけるodolは、時に思い出に浸りながら、それでも前を向いてそんな現実を受け入れようとしている。

- 明日のことは忘れて また朝が来るのを待とう (「グッド・バイ」)
- それでも夜を抜ければ新しいことばかりだ (「夜を抜ければ」)

odolのメンバーの大半は、20代前半の大学生。否が応でも将来について考えなくてはいけないタイミングである。『YEARS』で歌われる言葉からは、大人になろうとする(もしくはならなければいけない)彼らの葛藤と覚悟が垣間見える。

精神的には今までよりも地に足の着いたモードに進みながら、音楽面では興味の赴くままに手札を広げたような多様性を見せる『YEARS』。最近の若手ロックバンドの中では頭一つ抜けたクオリティの作品であることに疑いの余地はないが、おそらく今作がバンドとしての完成形というわけではないだろう。「世界一のバンドを目指す」(前作リリース時のインタビューにおいてそんな発言があった)彼らは、次の作品ではさらに予想もできない成長を見せてくれるはず。そんな期待を寄せずにはいられない、充実の2ndアルバムである。

レジー